トマス・M・ディッシュ / Thomas M. Disch
『プリズナー』



"The Prisoner" '69
永井淳 訳
ハヤカワ文庫(SF)
¥460

 引退した諜報部員が目覚めたとき、そこは見知らぬ村だった。村人たちはすべて名前ではなく番号で呼ばれ、彼自身も6号と呼ばれる。ここが一体どういう場所なのか村人たちからは手がかりも得られず、6号は村からの脱出を図るが、奇妙な浮遊物体に行く手を阻まれる。やがて村へ来るわずか前に知り合った女性が村に現れ・・・。

 1969年に日本でも放映された英国のTVシリーズ『プリズナーNO.6』のノヴェライズだそうです。元になったドラマは見ていませんが、小説としてはディッシュのオリジナルと言われても普通に信用してしまいそうな実験的作品でした。子供向けの『いさましいちびのトースター』、奇妙なモダンホラー的『M.D』、そして短編集『アジアの岸辺』から数篇読んだだけという現在では相変わらずこのディッシュという作家のイメージがまったく掴めていませんが、堅実な文学的アプローチでヘンなシチュエーションを料理する実験的な作風のこの作品のようなものが、一番本質に近いのかもしれない、と思えたり。
 ただしこの作品は読んでいて非常に辛いものでした。面白くないんですよ、ほんとに。アイデンティティさえ錯綜としてくる中盤以降の展開にしてももっと面白くしようがあると思えるのですが、なんだかだらだらと締りがなくって。テリー・ビッスンの『ふたりジャネット』の中でも「実力がある」と評されていましたが、このように思いがけない機会に目にすることの多い作家で、とりわけ作家たちからの賛辞は多いようですが、この作品だけは私には肌が合わなかったとしか言いようがありません。評価の高い『人類皆殺し』や、買い置きしてある『虚像のエコー』も早いうちに読んでみよう。
(’05)

『いさましいちびのトースター』



"The Brave Little Toaster" '80
浅倉久志 訳
早川文庫(SF)
¥520

 あなたは夏の間だけ暮らす別荘を持てるほど生活に余裕があります。しかしとある事情から、ここ二年半ほどその別荘を訪れていません。ある朝あなたが家を出るとき、玄関に5つの電化製品が転がっていました。トースター、掃除機、電気毛布、卓上スタンド、ラジオ。これらはみな、あなたの夏の別荘にあったものと同じものです。あなたはこれを見て何を思うでしょう。

 道具に愛着などなく、別荘にあったものだと気づかずに薄汚れたこれらの製品を廃品回収へ出してしまうあなた。この本の存在は忘れてしまってかまいません。

 主人を慕って艱難辛苦大ここまでたどり着いた電化製品たちの大冒険を夢想し、末永くこれらの道具を使ってあげようと心に誓ういささかお花畑の入ったあなた。この本はあなたにとってきっと大切な一冊となることでしょう。

 え?私ですか?数年間も蔑ろにした無機物が反乱を起こしてここまで復讐にやってきた!と勘違いして箒片手に大立ち回りです。いささかディック的パラノイアの入ったホラー者には、こういったメルヘンはもう愛せないのかもしれません。

 SF界では最高ともいえる賛辞を浴びるディッシュ、というイメージを払拭する作品。ディズニーによりアニメ化されていたりという事実からも、どんな傾向のものか伺えるでしょう。こういう作品での「大人も楽しめる」という常套句はやっぱり信用できませんが、この作家に興味のある人ならば、ディッシュらしさを読み取るという苦行に挑戦してみるのもよいかもしれません。
('04)

『M・D』



"The M.D." ’91
松本剛史 訳
文春文庫
上巻¥540
下巻¥580

 信じていたサンタクロースの存在を否定された6歳の少年ビリーの元に現れた異教の神マーキュリー(メルクリウス)。神は韻を踏んだ言葉で呪いをかけることで願いを叶えるというカデューシアスの杖を少年に与える。しかしその願いには大きな代償が伴うのだった。犠牲者の山を築きながら成長したビリー。その頃世界はエイズをも凌ぐ奇病に覆われていた。

 ニューウェーブSFにおけるアメリカからの回答ということで名を馳せた作家。とのことですが、実は他の作品は未読のためよく判りません。この人も作家のための作家などと形容されるように技巧ばかりがクローズアップされ、更に多岐に渡る執筆活動のため、その知名度とは裏腹にセールス的には芳しくないようです。ベストセラーになった本書の背景を知り、手っ取り早く売れ線狙いのホラーを書いてみたのかと勘繰ったりもしましたが、そんな甘いものではありませんでした。
 最近ではホラーを捨ててSFに転身する作家は多いようですが、その逆はあまり見かけません。古くはそんな壁は存在しなかったようですが、最近ではこういう転身はことさら評価、そしてそれ以上に批判にさらされることも多いようです。しかしネタの少ない批評家たちがこぞってエサに群がるようなそんなみっともない状況は、どちらのジャンルも分け隔てなく愛する読者にしてみれば実はどうでもいいことでして、ダン・シモンズにしろ、G・R・R・マーティンにしろ、面白い物語さえ提供してくれれば、私は何も言うことはありません。
 そもそもニューウェーブに密接な関わりのある作家ということで、既存のジャンルに収まるような個性でないことも想像できたこと。ですが一般的なホラー作家では書き得ないこの手の小説のお約束をことごとく覆す手法には、大きな戸惑いと共に他に類のない個性に触れたことによる無上の喜びとも言うべきものを得られました。
 大きな代価を伴う願いごと。実の兄を筆頭に身近な人物さえもことごとく呪いの対象としてしまう少年がいわゆる秀才として描かれていることで薄ら寒さも倍増。それは愚かなのびた君が便利な道具を使いこなせず最後には痛いしっぺ返しを喰うという以上のものとして迫り、因果応報という言葉の持つ意味が大きくのしかかってきます。それを補強するためのいかにもといった西洋的宗教観の披露が大きな割合を占めているのですが、それもまたラスト付近での終末的な(ミクロもマクロも両方において)展開を意味あるものとしています。一見ありがちな展開とは裏腹に、根底における恐怖の質ということでは実は比較できるような対象が存在しないのではと思えるほどの奇妙な作品なのでした。
(’04)